附中の授業

  <数学>
    数学の先生はテストを返すとき、80点以上の人の名前を読み上げた。80点以上
   はたまにしか取ったことがないので、まず読み上げられることはなかったが、1年生
   の標準テストは珍らしく95点を取り、読み上げられたところ、皆の大きな嘆声が上
   がったことがあった。点数は他人に見せたことがないが、自然とその人の学力が分
   かるのは不思議である。秀才のI君は、このテストで105点と読み上げられていた。
   おそらく出題にミスがあり、2通りの答を解答 したのではないかと思う。
    写真は、黒板と小さい黒板に書かれた代数と幾何の問題を、2人が解いているとこ
   ろである。


 

  <英語>
    附中の英語教育は、大変特徴があったと思う。その特徴とは、@発音重視、
  A毎日の英作文テスト、B毎日の教科書暗唱テストで、徹底した反復練習により、
  英語の総合的な力をつけさせることである。ノートもたしか4種類あったと思う。授
  業中に書くノート(講義帳)、英作文の練習ノート(英作帳)、教科書の英文とその
  訳を書くノート(英訳帳)、毎日の英作文のテストで間違った文を10回書くノート
  (訂正帳)を作らされた。毎日の暗唱テストは、劣等生にとっては恐怖の時間で、
  もし言えなかったときは、教官室(附中ではこういった)まで覚えて言いに行かね
  ばならない徹底ぶりであった。朝、南海平野線の車中で必死になって覚えている
  面々があちこちに居た。 
    生徒を当てるのは、生徒の名前を書いたカードをトランプのように切って、広げた
  ところに名前が書いてある生徒を当てられた。英語の時間が済めば、ホットしたこと
  を思い出す。
    また、毎日の英作文の小テストは、時間の最初に行われ、先生が、Taking the
  testpaper number 1. 1、「私たちは、アメリカにいる人を誰も知らない。」と言われると、
  テストペーパーに英作文を書く。続いて
    「2 だれかが部屋でピアノを弾いていた。」
    「3 昨晩、彼女の机の上には何もなかった。」
    「4 彼は、昨日私たちに何かくれた。」
    「5 私のおじの農場にいる人は、皆いそがしかった。」と続き、  
   5問終わると、Stop writing .と言われ、列の一番後ろの人が集めることになってい
  た。また、採点も当番の生徒が行い、当日返すことになっていた。一度自分が当番
  のとき、平均点を出したところ、6.2点であり、案外低いと安心したものである。
   次のテストは、3年で習う関係代名詞の単元で、K君のものを拝借したものである。

  
                         
  <国語>
    国語の教科書は、扱う教材に季節感を持 たせており、1学期は春を題材にした
   もの、3学期は冬から早春の題材が多いと、大体いつ頃習ったか、思い出すことが
   できる。
    教科書は有名な小説、論説、紀行文、俳句、短歌、古典、戯曲等が取り上げられ
   ており、総合的な国語力が付くように編集されている。当時は勉強に熱心でなかっ
   たので、そのようなことが分からなかったが、今、教科書を読み返して分かった次
   第である。
    授業で興味を持った単元は、詩と戯曲である。詩は2年の1学期に「現代詩」の
  単元があり、島崎藤村の「朝」、北原白秋の「からまつ」などを習ったが、「からまつ」
  は各班が分担して詩の解釈を発表することにより、詩に対する興味が湧いたと思う。
    戯曲は、2年で吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」、3年で森本薫の「怒濤」
  を習った。授業は、登場人物の配役を決めて読み合わせをすることにより、進められ
  た。皆で読み合わせすることにより、戯曲の面白さが引き出されると思った。

  <理科>
    理科の授業で思い出すのは、学校裏の草花鑑賞と気象通報を聴いて天気図の
   作成である。1年生の最初の第2分野の授業は草花の単元であったので、先生は
   草花観賞に校外に連れて行っていただいた。当時、学校の裏は一面の田圃と畑で
   あったので、実際に指を差しながら、「これは薺(ナズナは独特のアクセントで言わ
   れたが、別名ペンペン草とも教わった。)」、「これは大犬のふぐり(ふぐりは雄犬の
   性器と教わった。)」と説明された。
    とても長閑な雰囲気で、強い草の匂いがして雲雀が啼いていたが、あのような景
  色はもう平野では見られない。
    天気図作成は、2年の3学期に習った。NHK第2放送の4時と10時から気象通報
   が放送されているが、そのテープを聴きながら天気図を作成するのであるが、慣れ
   ないと、読むスピードに追いつくことができなかった。気象通報は現在でも同じ時間
   帯で放送されている。「石垣島は南南東の風、風力3、晴」から始まり、日本縦断し
   て中国大陸に移り最後は富士山で終わった。10時の天気図作成の宿題を、炬燵に
   入りながらしたことを懐かしく思い出される。青島(チンタオ)、アモイとはどんなところ
   か行って見たいと思いながら聴いたものであるが、現在では手軽に行け、40年の
   歳月を感じる。
    写真は、理科室における授業風景で、真空放電の単元と思われる。

  

  <社会>
      社会は、1年は地理、2年は歴史、3年は政治・経済であった。
     写真は、社会の授業風景で、黒板に会議の字が書かれている。また、教室
    の横の黒板には、その日の時間割、技術、国語、理科、社会、数学、英語と書
    かれているので、4時間目であることが分かる。