第34回モンゴル国ザミンウッドの旅 ( GHFの記事より抜粋)
 《モンゴルは心のふるさと》
抜けるようなモンゴルブルーの空、見渡す限り何もない大平原。まるで、白地のキャンバスに何を描こうか、つたない想像の世界が拡がる。いやいや、汚さず何もないのが良いのだ。16時間の寝台車の旅、モンゴルウォッカで心地よい酔いを、日頃の精神の浄化を心のすみずみまでなし、明日の活力に、ボランティアで植林、肉体疲労は休めば回復する。心の疲労回復、遠山先生始め参加された方々のくったくない人間関係有難うございました。徹底的に心のわがままな旅をさせてもらいました。今、日本に帰り頭の中はクリア。モンゴルのあの大平原に水がしみ込む様に新たな木を植えたいと思っています。




学校の植林と墓地



ザミンウッドで植林



警備隊と列車



テムジン地方とゲルの子供

 十三世紀のモンゴルは、今の俺達からすると、信じられないくらい強大で、高度な文明と合理的な国家構造を持つ帝国だった。
馬に乗って暴れ回るだけという蒙古のイメージは、近代西欧の歴史認識によるものです。野蛮で獰猛なだけの民族が、ユーラシア大陸を政治的に統一できるわけがない。法務官僚に華人を、中国人だね、使ったし、経済官僚には数字に強いペルシャ人を使った。モンゴルの人は土をいじるのを好まなかった。今の考えでいうと、環境を変えることをはっきり悪だと思っていたんです。農耕、農業を軽蔑していたんですよ。農耕は結局土地をダメにするということを知っていた。驚くべきことに、モンゴル人には共生という概念があったんです。基本的に遊牧民だから、自然は、そこから何かを奪うものではなく、恵みを分かち合うものだと知っていた。農耕は必ず過剰生産を生むこと、そして過剰生産を続けると、大地や大河でさえいつかは枯渇することを本能的に知っていたわけです。モンゴルは内紛で自滅したが、外敵に対しては無敵だったんだよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 モンゴルは千戸の家族を一つの単位としていたんです。戦争ですごい働きをした家来には、たとえば二つの千戸群を褒美として与えたりしていた。千戸というのが行政の単位だったわけです。チンギス・カンが帝国を築いた後、モンゴルは西方へ向かって進軍を開始する。バトウという王は、広大な中央アジアを横切り、ウラル川を越えてロシアを制圧し、モスクワという町を造りポーランド、ハンガリー王国を撃ち破り、神聖ローマ帝国の入り口まで攻め上がった。モンゴル軍は、信じられない距離を移動した。ユーラシア大陸の端から端だよ。そして、この遠征軍の主力は、少年兵だったんだ。

「希望の国のエクソダス」 村上龍著 P99より抜粋
「モンゴル帝国の興亡」 杉山正明著 講談社現代新書